やりがいで搾取されるからやりがいも枯渇していく。
「毎日ずっといるんですか?」
担当事業のときに出ずっぱりだった期間、そう尋ねられた。
「時期によりますけどねー、今は時給換算はしたくないですねー」
と答えたら、その場にいた別の方に
「時給換算はしてはだめ」
と諭されてしまった。
下の2つを読んで下書きを掘り起こしてきた。
- 脱社蓄ブログを読んで感じる違和感(あんま無理せず金貯めてる人のブログ)
- Re:脱社蓄ブログを読んで感じる違和感(脱社畜ブログ)
あんま無理せず金貯めてる人や仕事が楽しい人は、『「脱社畜」の人が言ってることは分かるけど、そんなに強く言う必要ないんじゃない?』と思うのはよく分かる。
あれくらい歯切れよく書かれていれば、日頃労働に関することで鬱憤がたまっている人は、読んで溜飲を下げられるからきっと気持ちがいいのだろう。
歯切れよく書くには敢えて零さないといけないものもあるし、しょうがないんじゃないですかね。
冒頭の続きだが、
「どのくらいいるんですか?」
というのは、休憩時間とかなんやらときに話の種としてしばしば聞かれる。働く対価の1つである稼ぎに関しては、ほとんどの人間が何とか暮らせるくらいというのはみんな何となく分かっている。そこで冒頭の時給換算的なことが口を滑る時がある。
単に稼ぎじゃなくて、仕事量なんかも考えると私よりもっともっとキツイ人はごろごろいる。私なんかは完全に時期によるし、やる気に左右されるのだ。
金のためじゃなくてなんで続けられるかって、やっぱり好きだから(何とかしたい)になってしまうのではないか。
上の私を諭してくださった方からは「割りがいい仕事はいいから面白い仕事を紹介してくれるようになってくれ!」と激励も頂いております。
そんなカッツカツの業界は人手を常に欲しています。
そらもう安くキッチリ仕事する人なんて天使か何かかと思いますけど、うちは必ず対価として賃金を支払うことを基本としております。(当たり前!ってかなんだよ源泉徴収10.21%とかいう端数万歳復興税は!)
当たり前と記入したのは、美術とかアートだとかはボランティア募集とかがよくあるからです。インターンも重要な戦力(労働力)です。
そういうボランティアへの対価は、現場を見て学べる、参加できるということでしかありません。そこから参加回数での特典や関わっているという優越感のような感覚もあるでしょう。
やり抜く人は登録者の一握りしかいないのが現状です。
大きいイベントに関してはボランティアなしだと運営がキツイし、一度でも触れてみて欲しいという観点ならば、こういう関わり方を提示することは悪くないと思います。
彼らも文化を担っていることに間違いありませんが、業界的には継続的な人材がとてもとても重要なのです。
だから、そのときにこれで生活できるという形を提示することが必要なのです。彼らやそれ以外も、もっと深く関わりたいと思ったときの受け皿はどこになるのか。
「ないんだな、これが」ではダメなんですね。
それでも、たとえ受け皿があってお金が出てもひどいアリサマーになってしまう現実もある。それに、好きでも洛なことだけじゃないし、割りに合わなければ特に心身ともに消耗していくので、頑張るけど何を頑張るのか何にやりがいを感じているのか分からなくなってしまい、やめていく人も少なくないという現実もある。
クソみたいな環境でも恵まれた環境でもクソは出る。必ず出る。
では、そこで自分は何に責任を持っているんだ。何をやろうとするんだ。
引きずられ過ぎたくはないけど、そのものを大切に思うきもちやそこから養われる責任感は少なくとも持ってないと、やっぱりどうしようもないと思うのよね。
それは組織による雇用者側による搾取とかいう単純な図式・矮小な問題に収まることはないだろうし。まず自分、そして組織、業界へと手の届くところから少しずつ広げていく。
どうしたってこぼしてしまうものはある。その中で何を選ぶのか。手の届く範囲しか出来ないのだから。
と言うのも、ゲージツ界隈はこころが壊れる人が少なくないのも分かっていて、結局は堂々巡りになってしまうから。
あと、(サクラハッピーじゃない方の)イノベーションとか言う人たちや斜め上から見たくてたまらない人たちにボコボコにされるから「やる気の問題ですよ!」とか言えない。それに本当に辛い人に見えるところで言いたくはない。
ちなみに、サクラハッピーの方のイノベーションとか言う人たちにはナデナデされたい。
それでも、私はやっぱり好きとかやりがいとかそういうのって大切だと思う。
ただし、それにありつける恵まれたやつなんてそういないし、組織が大きくなればそれだけ色々な人間がいるので、やりたい事とやるべき事が一致して聞こえる世界の声もバラバラであることだけは理解しているので、先の2つのブログで言ってることの共通点である『おしつけがましいのはちょっと……』というのは守りたいと思っている。
何とかならんかね、金くれ。
でも金だけじゃ動かんよ。
そいじゃまた。