他人が「やろう」と言ったことは最善のやり方である
私は、他人が「これこれこうしたいです」と言ったら、それを受け入れてから始める。
受け入れてから始めるというよりも「やりたいんだからそれが正しいだろう」と、何の疑問もなく信じている。
私はスタートアップの場所にいるから、まずこの部分から始めたい。
自分のやることに口を出されるのが嫌いだったから、
他人のやることに口を出す人間が大嫌いで、
それをやめて、疑いどころか問いを持つことすら出来なくなってしまったように思う。
問いを持てないのは致命的なことで、何故これがこのように何事もなく進んでいるのかを考えなくなってしまう。
言われたまま仕事をやっているときは大した問題ではないが、自らが管理していくことになると大変な問題になる。
それは置いといても、やっぱり他人のやりたい事は、私にとっては最善だと思っている。
深く関わった人には「ありがとう」以上の感情は出てこない
四半世紀以上生きていて、今年の年明けは初めて一人で迎えた。
私は毎年、帰省しているからだ。
昨年は祖母が亡くなったこともあり、頻繁に帰省していた。
そうでなくとも、独り身で友人関係も希薄なので、3日以上連続して休みが出来たときにはよく帰っていた。
(あと、京都は仕事以外でも年一回は必ず行くようにしている)
私が独り身だからであろうか。
年々、親への感謝の気持ちが強くなっている。
ドラマチックなほどではないが、胃を壊すくらいには迷惑をかけたことも幾度かある。
それでも切らさずに付き合ってくれたことは、私が独り身だからであろうか、全くもって想像もつかない。
そういったことに関係なく、育ててくれたことには感謝しかない。
親も子も、それがどういったものか分かった上で選んで生む/生まれるわけではない。
それに、今だって私は身体が痛くならない程度にベッドの上でゴロゴロしているだけの生活が夢だ。
それでも、親が死ぬまでは絶対に死ねない。
一から十まで見えることもあるし見えないこともある。
また「このままではダメなんだけど温めの燗がいい」などというコンフリクションに悩まされていまして、辛い(からい)記憶を思い出しました。
それは、仕事を一緒にした人に
「お前は本気でこの業界のことを考えているのか?今回のような態度でそう言うならどうしようもない程度の低さだ。お前もここも業界もクソだ。」
というようなことを言われてしまったことです。
これには流石の私も怒りと哀しみが生まれたので、
「今回は本当に申し訳ないことをした。資金的にどうしようもない事情でも出来ることはあったはず。だからお詫びします。でも、さすがにそれを今回のこと以上のものに結びつけるのは乱暴すぎるのでやめてください。」
という感じで返しました。
正直だとしても勢いでも乱暴な論理を持ち出す人とは気持よく一緒に仕事できる気がしません。
でも、間違いではないし勢いでもそういう事を言わせてしまう環境を作った責任は大きいので、色々ちゃんとしようと思っています。
そいじゃまた。
日記を書きたい
淡々と何の役にも立たない素敵な日記を書きたい。
ひとつ終わりましてまた始まります。
ながーく、ゆっくりと進めていたものが終わりました。
私としては、反省点はあるものの大切な一歩を踏み出せたと思っています。
これは私が一人でやっていたわけではなく、ある方と集まってくれた方々と共に作ったものでした。その中で私は何が出来たのか、これはもう一度考えたい。
猿でも出来る場や機会の提供だけになってしまったのではないか。もちろん姿勢として内容面に口を出さないというのもありですし、むしろなるべくそうしていきたいとも思っています。
ただし、これはバランスを欠くと自分以外の大勢の方に負担を背負わせることになります。それでは共に作ったとは言えません。
他人を頼るのと他人頼みは違います。これを肝に銘じて次へ向かいます。
私個人としては(場を持っていると言えるので)、賞・アワード・プライズなどを与えるよりも場や機会を提供して活動基盤作りをしていくことが重要だという考えを持っています。
単発で終わるショーケース、賞を称げるだけで終わるコンペはくそ食らえですね。確かに肩書きがあったほうが何かとよさげに見えますし、知名度も上がります。
そうしていくと規模大きなところへ呼ばれる機会が出てきます。正直、すごく美味しい機会です。
でも、体力もないままにそんなことやってしまうと下手すると再起不能になってしまうかもしれません。桁の違う大赤字もありえるし、いつもいい作品ができるわけではないからです。
呼ぶ側は期待の新星、つまり「ワシが育てた」を欲しています。だから先取りしたいんですね。
だから私は、失敗しても帰れる場所があると、そういう風に思ってくれる場所を創っていきたいと思います。
そのためにはしっかりせにゃなりませんね。
そいじゃまた。
小さなコミュニティを横断する
狭い世界で生きています。
お客さんなんてマニアしかいないんじゃないかと思っています。
支えられてます。ありがとうございます。
私らはそれでも何とかならないこともないけど、作家はそれじゃお小遣いにすらならないことも多い。趣味でやるのとは別に、生活費を稼ぎながらでもけっこう足りないのである。
じゃあ見てもらう人を増やそうぜということで何をするか。
たとえば宣伝を考え直すわけです。
- これまでも対象ではあったが来ない人たちに向けてアプローチを変える。
- 対象を増やす。
自分の立場は。
色々なものに落ちた。
落ちるだけ落ちた。
十分な予算を獲得できなくなった。
新たな道が開けそうだったものが駄目だった。
前者は企画の見直し練り直し。
後者は今、自分が出来ること・担当している事業に精力を注いで力をためて、自分が相手に何をもたらすことが出来るのかを明確にプレゼンできるよう、募集があれば何度でもチャレンジしたい。顔を繋げられたので、それはそれでよかった。
ということで、私の能力の低さを省みるいい機会になった。
事実として立場が強くなったことや、それによって具体的な近い将来が見えたことで高くなっていた鼻っ柱が、しっかりと根元から折れたので幸いなことである。
人様に助けられて、運が良くてこの立場にいることを決して忘れてはならない。
立場が強くなると、どうしても傲慢さや驕り高ぶりが出てくる。
この季節、特におネットの世界では新一年生たちがそれを見せつけてくれている。
立派な企業に勤めること、立派な学校に入学すること、素晴らしいことである。
特にそれまで「クラス内ヒエラルキーそう誰が決めたわけでもなくいつの間にか作り上げられる1軍2軍3軍 全てにおいて中の下から中の上 妄想社会で毎日ワーキャー 1軍になりたいわけでもないそんな私たちは 2軍のファンタジスタであーる」未満の下層に押し込められていた人間は本当に溜飲が下がると思う。
だけれど、だからと言って、失敗した、あくまでその時点で思い通りにならなかった人間たちを嘲笑うことは断じて立派ではない。
私は下層にいるから、その上から目線が羨まし過ぎてイラつくぜ。
加えて、内側を少し知ることで立場が強くなったと勘違いしているのではないかと、こちらが勘違いしてしまうような人間も出てくる。
そうした人間は内側を知らない、例えば普段はお客様として相対している方々がいるような場でも、平気でネガティブなことや「内側のこと知ってますよ」的なことを聞こえるような声で話す*1。
そうした人間は苦手である。
ネガティブだ。根が恥部だ。
あなたたちには責任というか、背負っているものはないのか。
仕事仲間だけがいる場において、まだ公開していない・決まっていないことを相談してみたり、日々の仕事の不満を言い合ったりすることは分かる。
だが、これらは外部に聞こえていいものではない。アレなものもあるけど、それでも然るべき方法がある。
隠蔽とか夢を壊すとかそういうことではなく、不正確に伝わる恐れがあるからだ。
私はこれでも組織(というと仰々しいが)に属する人間である。私はそこで、そしてその周辺でお世話になっている人々がいる。
これは守りたい・守るべきものだ。
そういう意識があるので、それに関するネガティブな話題は、外では極力話したくないし、まして聞こえるような声で話したくない。
他人はそこまで他人の話は聞いてないし、聞いたとしても忘れる。
それでもそういう状況下に置かれたときには、少し話題をそらすことと話題になっていることや人に対して極力フォローするようにしている。
自分が出来ることは決して多くはない。
だから、限られた出来ることの中で何をしたら他人のポジティブを増やせるのか、ネガティブを減らせるのかを考えている。
人間は、同じような仕事をしている人間は特にだけど、何かを背負っているはずである。ネガティブな発言をよくする人は、そこにもう少し意識を向けて欲しい。
ぶっちゃけ、発言をすること自体は何も悪いことではないので、ここでこうして愚痴を垂れている私の方がよっぽど悪いのは揺るぎない。
そいじゃまた。
*1:私の所属するコミュニティ・業界は狭いうえに、私はオフで遊びに行っても、そのコミュニティの中にいることが多い。これは好きなことが仕事に結びついているし、仕事と関係のない知り合いが皆無に等しいためである。そういう個人的な感覚かつ極私的な経験からのものであることを了解されたし。